ADHD傾向、メニエール病、パニック障害…転勤族の妻として目指す働き方

Yさんは、正社員の在宅デザイナーとして社会復帰することを目指してmanaby WORKSを利用しています。これまで幾重にも重なる心身の不調に悩みながら、それでもデザインを諦めずに学び実践し続けてきました。HSP・ADHD傾向・突発性難聴・子宮内膜症・子宮筋腫・メニエール病・パニック障害……そして転勤族の妻である、Yさんのストーリーです。

 

アンバランスな子供時代

「今思えば、得意なことや不得意なことが極端で、アンバランスな子供でした」
絵を描くことが得意で、音楽や体を動かすことが好きだったというYさん。一方で国語では登場人物の気持ちを読み取ることが苦手で、勉強ができないと感じていたといいます。

 

小学生の頃は何かと親に怒られることが多かった、とYさんは続けます。自分の伝えたいことをうまく言葉にできない、言い返すと叱責される。そのうち大人の顔色をうかがうようになり、とにかく無難にその場を乗り切ることだけを考えるようになったそうです。

 

「わからないなら聞くように」と言われても、何がわからないかわからない……中学受験に向けて親子関係は悪化し、体調を崩すと心配される前に責められました。何とか無事に受験を乗り越え中高一貫校に進学しました。親の立場に立てば必死だったためだと理解していますが、Yさんにとっては辛い小学生時代の思い出です。

 

デザインの道へ

Yさんにデザインを学ぶことを最初に勧めてくれたのは、幼稚園の園長先生です。小さいころから大好きな絵を描き続けて、高校生になると美大を目指すようになりました。美術部に所属し、教室に通い、デッサンや、バランスを見ながら色彩を組み合わせていく色彩構成を学びました。そして見事美術大学デザイン科に進学。グラフィックデザインをはじめ、模型作りや木版パズルなど、たくさんのことに挑戦した充実した日々でした。

しかし卒業する頃、世の中は就職氷河期と言われた時代。Yさんも就職活動に苦戦しましたが、なんとか事業会社のハウスデザイナーとして就職を果たします。

 

デザイナーの理想と現実

念願の正社員デザイナーという肩書を得たものの、実際に働き出してみるとデザイン以外の仕事も担う必要がありました。慣れない業務で、デザインの仕事も存分にできない日々。悩んだ末に「もっとデザインに集中したい」と退職し、デザイン事務所に転職を決めました。

 

入社したのはWebデザインを手掛ける会社で、Yさんも専任デザイナーとして複数の顧客を持つようになりました。デザイン業務に集中する喜び、やりがいを感じながら、同時に責任の重さにプレッシャーものしかかりました。

 

「クライアントに満足していただきたい。チームメンバーに迷惑をかけて嫌われたくない」
そんな思いが強かったかもしれない、とYさんは振り返ります。頑張りすぎた体に少しずつ異変が生じはじめ、ある日突発性難聴になってしまいました。その後、子宮内膜症も発症。働きたい思いとは裏腹に、仕事を続ける自信がなくなっていったのでした。

 

自分に合う働き方を模索する

退職し、しばらく体調と向き合うことにしたYさん。長時間労働を辞め、ストレスもなくなり、休養をとることで改善の兆しが見えてきました。友人の誘いで事務職に挑戦してみます。代わりのきく仕事だったので気は楽でしたが、残念ながら職場ではなかなか病気への理解を得られませんでした。徐々に電車通勤の負担も大きく感じるようになったこともあり、結婚を機に再び退職することに。いつか社会に出て働きたいという思いを持ち続けながら、家事に専念しました。

 

一方で、体の不調はさらに襲い掛かります。外出時にパニック発作を起こし、メニエール病を言い渡されました。体の不調を抱えつつも「このまま一人で外出できなくなってしまう」という焦りも大きかったそう。パートタイムの仕事をしたり、友人のデザイン仕事を引き受けたりと、社会とのつながりを断たないようYさんは必死で頑張りました。しかし、頑張れば頑張るほど症状は悪化し、外出はもちろん一人で家にいることすら恐怖に感じるようになってしまいます。

 

「夫が一番の理解者でよかった」
子宮筋腫も抱え、Yさんはいよいよ精神的な限界を感じました。本格的に治療をしようと心療内科に通い始め、ADHDの傾向とパニック障害を診断されます。絶望を感じる毎日でしたが、いつもすぐそばで夫が支えてくれました。

 

そんな矢先に夫の転勤辞令。Yさんは、どうしても見知らぬ土地で日中一人過ごすことが考えらえず、一時的に実家に身を寄せることにしました。助けてくれた家族には感謝しているものの、 精神障害の知識も理解もあまりない家族との暮らしは双方にとって負担がかかるもの。医師の勧めもあり夫と暮らすことにしたYさんは、勇気を出して苦手な長距離移動を成し遂げました。新しい土地で信頼できる医師やカウンセラーとの出会いもあり、いまでは安定して回復に努めることができています。

 

立ち止まって、見つけた未来の働き方

働きたいという強い思いで一人チャレンジしては苦しい思いをしてきたYさん。勇気を出して誰かの力を借りてみることにしました。いつかネットで見かけた就労移行支援manabyを思い出し、近くに事業所がなくても利用できるmanaby WORKSを知りました。

 

「家から出られないひともたくさんいると思います。でも社会とのつながりは諦めないでほしい。manaby WORKSのようにオンラインで学ぶこともできる。私も少し勇気を出して踏み出したら、いろいろなことがつながり始めました」

 

Yさんはいま、転勤族である夫のそばで、大好きなデザインの仕事をできるだけ長く続けたい、と思っています。理解のある企業に出会えたら、一人で抱えるのでも諦めるのでもなく、仕事のことも体調のことも相談をしながら働けることに感謝をして頑張りたい、と笑顔で語ってくれました。
(2021年5月取材)