人生は面白いほうへ!留学して転職して、いまここにいる理由

2023.06.29

People

米国で国際ビジネスを学び、帰国後は法人営業やIT講師などを経験した中村さん。「社会を変える仕事」に挑戦しようとmanabyに入社しました。

 

【プロフィール】
中村 悠太
2022年3月入社
横浜長者町事業所 事業所マネージャー
※2023年6月現在

 

 

新しいことをやろう

―これまでのご経験を教えてください

私はアメリカの大学を卒業後、新卒で日系の飲料メーカーに就職しました。法人営業として企業や街のお店に自動販売機設置の提案などを行う仕事を経験しました。それからIT企業に転職して人材育成の研修講師を務めたあと、manabyに入社しました。

 

―なぜアメリカへ?

高校時代、当時尊敬していた先輩が海外に行って活躍されていて、とてもかっこいいなと思っていました。日本では高校を卒業して国内の大学に進学するのがよくある進路ですよね。自分はそうじゃない道に進みたい、面白いことがしたいな、広い世界を見たいなと思ったのがきっかけです。

 

家族の中で大学に進学したのも留学したいと言ったのも自分だけ。両親は「好きなことをやれ!でも人に迷惑はかけないように!」という感じだったので、兄弟それぞれの選択を尊重して、私のことも応援してくれましたね。

 

―何を学びましたか?

ビジネス学部で、国際経済や経営全般、会計などを学びました。英語はある程度勉強していったつもりだったけど、最初の授業でまったく理解できずに悔しい思いをしたのを覚えています。

 

気合を入れて最前列に座ったのですが、そこは自信がある生徒のみが座れる席だというのを後になって知りました(笑)。授業中に講師がその席の生徒に問いかけるんです。私もその授業で何度も当てられましたがまったく答えられなくて、悔しくてその晩は泣きました(笑)。

 

それからは授業を全部録画して、毎回振り返るようにしました。図書館で0時過ぎまで勉強するようになって、だいたい半年くらいで授業についていけるようになりましたよ。成績も認められて、奨学金を貰いながらいろいろなことを学ぶことができました。

 

―何でそんなに頑張れたのでしょうか?

大変だったけど、やりたいことだったし楽しかったから。アメリカで新しいことやってやるぞーと意気込んでいたので、本当にいろいろやってみました。とにかく英語力をあげるためには生のコミュニケーションだ、とコミュニティにも参加しました。

 

現地の日本人に英語を教えていたら、留学斡旋のエージェントからアルバイトとしてやってみないかと誘われたこともありました。サッカー審判免許を持っていたのでスポーツ審判のバイトもしましたね。それから大学で日本語講師として働いたし、VIP送迎なんかも経験しました。

 

 

働く人生60年

―学生生活の中、たくさんのお仕事も経験されたのですね。それからどんな就活をしたのですか?

アルバイトで留学生のサポートをしたときに「誰かの夢のサポートをする」ってとても素敵だな、楽しいなと感じたんです。それで人事という分野に興味を持って、日系企業の人事部で働きたいなと考えました。

 

そしてボストンで行われている世界最大級の日英バイリンガルのための就職イベントに参加して、日系の飲料メーカーに就職を決めました。営業職採用だったのですが、「この方と一緒に働きたい」と思える方との出会いがあったのが決め手でしたね。

 

いずれ人事部に異動してその方と一緒に働くことを目指して、今は下積みとして営業部で頑張ろうと、目の前の仕事に一生懸命に取り組みました。でもなかなかやりたいことには近づけなかった。改めて自分のやりたいことと目指すものを考えたときに、教えること、人の夢をサポートすることの楽しさをもう少し仕事で感じたい、と教育関係に転職することに。

 

そこでの仕事もやりがいを感じるものでしたが、働き方はハードでした。仕事終わりに付き合いで飲みに行くことも多く、睡眠不足でまた働く日々。これは自分に合った働きなのかな、と何度も自問自答しました。改めてこれからの働き方を考えたときに出会ったのがmanabyでした。

 

―次の職場をmanabyに決めた理由は?

「一人ひとりが自分らしく働ける社会をつくる」というミッションに共感したことが大きいですね。アルバイトや日系企業で働きながら、常に自分の働き方ややりがいについて考えてきました。今後50年、60年働く人生が続きます。やっぱり自分らしく働くって大事だなと思ったんですよね。社会を変える仕事であることにも惹かれました。

 

―初めての福祉業界、どんな苦労がありますか?

福祉に関して一般教養的なことは知っていましたが、症状や対応について詳しくは知らなかったので膨大な情報から学ぶのは大変でした。でも学んでみたら、その症状で悩む利用者一人ひとりの大変さが身をもって感じられた。自分にできる支援の幅が少しずつ広がっているのを感じます。

 

―どんなやりがいがありますか?

私は職業指導員としてパソコンについて教えることが多いのですが、例えばある方にとってやりやすいタイピングの仕方を模索して、学習方法も一緒にかんがえて、最終的にはMOS(マイクロソフト オフィス スペシャリスト)を取得できた、ということがありました。寄り添って一緒に成し遂げた実感があり、そのときはやりがいを感じましたね。

 

また上司からのパワハラで退職、適応障害と診断された方がいました。manabyに通い始めた頃は「自分のコミュニケーションは間違えていないか」と常に不安を感じていらしたのですが、アイスブレイクやPLEP法などをとことん練習した結果、職場実習に参加したときにジョブコーチに報告・連絡・相談が上手だとコミュニケーションを褒められたんです。

 

「中村さんと練習を積み重ねたことで不安がぬぐえた」と言ってもらったときは、やっぱりうれしかったです。

 

 

Will Can Must の交わるところ

―中村さんにとって自分らしい働き方とは?

誰かのためになる仕事で、自分がやりたいこと(Will)、できること(Can)、必要とされること(Must) のバランスが整っている状態が、自分らしく働けてるってことじゃないですかね。私自身は、誰かに寄り添ってサポートをするのが自分に合っているし、らしさを表現できているなと感じています。

 

―6月にマネージャーとなりましたが、これからやりたいことは?

マネージャーとしては、支援員がやりたいことや課題を聞きながら、働きやすさを意識して最も効率のよいやり方を見つけていくのが仕事だと思っています。まずは目の前の環境を整えることに注力しながら、うまい方法を見つけたらほかの事業所や事業にも展開していきたいですね。

 

そしてゆくゆくは、みんなが自分らしく働けるような組織をつくっていくことにも興味があります。

 

私のモットーは「中村さんに会えてよかった」と思ってもらえる人になることです。その人の夢ややりたいことをうまくゆるやかにサポートできるように、人間力、知識を身に着けていきたいと思っています。考え方次第でどんなことでもできる、ということも伝えていきたいですね。

 

―なんでもできる!どうしてそう思えるようになったのですか?

アメリカでのことも含めてこれまでの経験からですかね。郷に入れば郷に従えと適応した自分もいたし、計画も考えも変えざるを得ないこともありました。でも自分にとって大事な「軸」が明確になったし、手段や行動は予定と違ったけど、目的地にはたどり着けることもわかった。むしろ新しい道が開けることもありますよね。

 

スモールステップで成功体験を積み重ねることもできたのもよかったんだと思います。

 

―これからどんな仲間と働きたいですか?

クルーさん(利用者)に寄り添える方です。多様な方が集まるといいですね。manabyの事業所もいろいろなバックグラウンドを持つ方がいます。福祉業界のスタッフだけでなく、いろいろな経験を持った支援員がいるから化学反応がある。刺激があるほうが人は成長すると思うし、違いがあることでシナジーがあり物事が良い方向に動くこともあるし面白いですよね。

 

人との違いに不安や嫌悪を感じる方もいると思います。でも「出る杭は打たれる」文化ではなく、「出る杭は抜かれてみんなで面白がる!」ほうがいいですよね。

 

manabyは「一人ひとりが自分らしく働ける社会をつくる」ことに共感する人が集まっているのもあって、自分らしさも相手らしさもお互いに聴いて受け止める姿勢があります。

 

採用担当者と話す機会があれば、ぜひ自分の思いや考えていることを言葉にして、違いを恐れずにやりたいことを伝えてほしいなと思います。

 

対話を力に、
社会を変える新たな挑戦へ

一緒に多様性を生かす
新しい社会の仕組みをつくりませんか

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