人に合わせて苦しんだ日々―自分の役割を見つけたカメラマン

統合失調症と診断され、何もできずにひきこもり生活をしていたKさんはいま、フリーカメラマンとして家族の思い出を撮影しています。七五三やお宮参りなどの行事を始め、笑顔も泣き顔も風景も、それぞれの家族の大切な瞬間を写し残す仕事です。もともと映像制作に携わっていたので、最近はオンラインイベントのライブ配信サポートも行っています。

 

 

人間がロボットに見えた学校生活

「絵を描くのが好きで、少し変わったこどもでした」
小さいころから、周りの子供たちとは違うと感じていたというKさん。学校での集団行動は苦手で、教室では同級生を観察しながら不思議な感覚で過ごすこともあったそうです。

 

コミュニケーションが嫌いなわけではなかったので、友人や身近な人たちとは楽しく過ごした子供時代でした。頭で考えるよりも感性で表現をすることが好きで、将来は「絵描き」になりたいと考えていました。

 

高校生になると、画家として生計を立てることの難しさについての現実的な意見を耳にします。Kさんは映画やドラマといった映像作品にも興味を持ちはじめ、徐々に進路として映像制作を学ぶことを考えるように。そして専門学校に進学後、念願の映像制作会社に就職を果たしました。

 

番組制作ADとしての経験、転職を経て

初めて就職した会社では、ADとして番組制作の現場で鍛えられました。アパートには月に数日しか帰れなかったとKさんは振り返ります。子供のころから好きだった表現の世界、映像制作に携わるのは楽しくもあり、厳しくもある日々でした。

 

それからほどなくして、Kさんは家庭の事情で実家に戻り父親の経営する会社に転職します。これまでとは全く違う業界での初めての業務で、接客からPOP制作も手がけました。そして入社して2年、役員として常務取締役に就任することになったのでした。

 

「まわりの社員に比べてまだ自分は若く、やることなすことが未熟だと感じました」
仕事内容も変わり、経験豊富な年上の部下を持つこととなったKさんは、孤独にプレッシャーと闘いました。古参社員との軋轢が生じるようにもなり、徐々に体に異変が起こるように。

無条件にいつも疲れている、やる気が全く起きない……
すぐにクリニックに行き「うつ病」と診断されました。1週間休み、無理をして仕事復帰してはすぐにまた不安定になり休職、という悪循環を繰り返し、結局会社を辞める決断をします。次第に幻聴の症状も出てきました。

 

「体の中から音が聞こえる。メロディではない不快な感覚でした」
症状は一進一退。医療機関を渡り歩き、現在の病院で「統合失調症」と診断されました。そこで処方された薬を飲むと、不快だった症状がすぐに治まったとKさんは言います。副作用で足が痛いと感じることもありましたが、少しずつうまく付き合えるようになっていきました。

 

焦りともどかしさの中で気付いたもの

妻と幼い子供に支えられながら、自宅でひきこもる生活が続きました。まだ体調には不安を抱えていたものの、就職しなければという焦りもありました。「これからはもうやりたいと思うことしかできない」と、映像制作会社に再就職。しかし1か月半で退職してしまいます。

 

「やりたいことさえうまくできない」「夫として父として何もできていない」
焦りともどかしさで毎日ストレスを感じ、体重も急激に増えました。パニック発作が起こるようにもなりました。

 

ある日の夜中に発作が起きたとき、妻はいつも通り冷静に対処して救急車を呼んでくれました。当時2歳の娘が、車内で静かに寄り添ってくれたことが忘れられないとKさん。
「いつもやんちゃな娘が、不穏な状況の中泣くこともなく静かに黙ってただそこにいてくれたんです。みんながそれぞれの役割を全うしている。自分も早く家族を支えてあげたいと強く思いました」

 

一歩を踏み出す

発症から1年半、薬とうまく付き合い体調が安定してきたKさんは復職に向けて動きだします。家族の勧めで就労支援の施設をいくつか見学をしてみて、デザイン系ツールを学び直したいと就労移行支援manabyに通うことにしました。そして4か月ほど訓練を続けたのち、支援員に紹介されたカフェへの就職が決まります。

 

オーナーはとても気さくで理解のある人でした。そのカフェでは定期イベントやこども食堂などソーシャル活動にも力を入れており、Kさんは撮影編集やデザイン、SNS管理など幅広い業務に携ります。

 

やりたい仕事に挑戦しながら、徐々に体調も回復していきました。仕事を通して、各方面で活躍する様々な人たちとの出会いがたくさんありました。もともと社交的なほうではないというKさんですが、ここで働いた2年間で知り合いが30倍になったそう。そしてKさんは、フリーカメラマンとして独立することを決意したのでした。

 

焦らなければ自分の歩み方は見つかる

Kさんは「家族がいなければ今はない。家族が大好きなんです」と力を込めます。
これまで支えてくれた家族とたくさんの思い出をつくり残したい。そうしてたどり着いたのが、カメラマンとしての新たな一歩でした。

「やりたいと思える原動力があったから、技術やセンス、向き不向きを超える想いがあったから、自分は踏み出せた」とKさんは続けます。一方で、想いや原動力はあるけど体調に問題がある、または原動力がない、という人もいるでしょう。

 

体調をみながらゆっくり、焦らずに一歩一歩進むこと。manabyのeラーニング訓練と一緒で、細かいチャプターごとに休憩を取りながら、自分のペースや歩み方を見つけることだと、教えてくれました。

「焦らないで、落ち着いて。そうすればきっと見つかるはず」

 

Kさんは、大好きな家族のそばで、自分の役割を見つけました。
(2021年5月取材)