自閉スペクトラム症-自分を受け入れ行動したら世界が変わった話

ASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)と診断されたときは「まさか自分が」と実感がわかなかったというCさん。生きづらさを感じ始めた学生時代から、何度かの辛い就職を経て、自分らしく過ごせるようになるまでのお話です。

 

成長するにつれてつまずいた自分

Cさんが初めて「自閉スペクトラム症」という言葉を知ったのは高校生のときでした。中学までは友達も多く、一緒にゲームをするなど楽しい時代を過ごしました。高校に入学してから、気づけば孤立してしまった自分。コミュニケーションに何か問題があるだろうと感じましたが、解決しないまま中退することに。編入して新しい環境での再スタートを試みますが、精神的な落ち込みから勉強に集中できず、ほとんど通えませんでした。

 

その頃初めてカウンセリングを受けたときに、自閉スペクトラム症の可能性を指摘されました。結局高校卒業は叶いませんでしたが、カウンセラーの支えもあり認定試験を経て大学に進学したCさん。心理社会学科を選びました。

 

不特定多数と関わることが多い大学生活も、Cさんにとってはとても難しいものでした。人間関係が必要とされる授業やゼミになじめずに、孤立してしまいます。
「なんでこんなことになるのだろう」

 

診断がついたのはちょうどその頃でした。周囲からも「障害があるって気付かないよ」と言われ、自分でもなかなか受け入れられずにいました。就活を始めるころ、Cさんは障害者就労支援センターの支援者と出会い、サポートを受けて新卒障害者枠での就職が決まったのでした。

 

障害者雇用?一般雇用?

初めての職場は、障害者雇用が初めての企業でした。最初は優しく接してくれていましたが、徐々に契約にない業務が増えてゆき、戸惑っているCさんに対してあたりもきつくなっていきました。

 

「理解してもらえない」
Cさんは、仕事を続けることが難しくなり退職してしまいます。その様子を見ていた両親の意見もあり、次は一般雇用の職場に転職をしました。

 

障害を告げずに事務職として働きだしたCさんでしたが、突然マルチタスクを要求されてしまいます。初日から厳しい上司に苦手なコミュニケーション業務。ストレスのせいか自分でも驚くほどの簡単なミスが続いてしまい「小学生でもできる仕事。できないのはおかしい」と言われてしまいました。このときCさんは障害を隠して働くのは辛い、このままでは長く働くことはできない、と実感したそうです。

 

そして大学時代から付き合いのある支援者の勧めで、個別サポート型の就労移行支援manaby(マナビー)を利用して再就職を目指すことになりました。

 

自分で動き、伝える訓練

マナビーは無理することなく個別で訓練ができ、かといってコミュニケーションがないわけではなく、自分のペースで進められそうだ、と感じて利用を決めました。
事務スキルを身に着けようとeラーニングでExcelやWordを中心に学びましたが、なるべく早く就職しなければという焦りと不安から体調を崩してしまうことも。

 

同じ過ちを繰り返したくない……
どこに行ってもダメなのかも、就職してもどうせ辞めるだろう……
コミュニケーションが苦手だけど、人間として他人と関わりたい……
そんな思いをマナビーの支援員に正直に伝えながら、一進一退の日々を過ごしました。

 

支援員は、Cさんらしい働き方や学び方について一緒に悩み、ある提案をします。
それはCさんの趣味である小説の執筆を訓練に取り入れること。大学生の頃、趣味が欲しいと漫画教室に通ったことをきっかけに、物語の創作に興味を持ったCさん。それから文章を書き始め、児童小説などを創作していたのです。

 

就職に直結する事務スキルだけでなく趣味の延長でライティング訓練を行うことで、まずは楽しみながら安定して訓練を続けることを目指しました。途中で執筆が思うように進まず就職活動までスランプ気味になってしまうこともありました。そんなとき支援員は、知り合いのプロ作家との面談機会をつくったり、作品の公募案件を紹介したりと、いろいろな角度でCさんに関わったと言います。

 

「視野を広げてほしい、周囲に相談する力を養ってほしい、という思いでいろいろな機会を探しました」(支援員)

 

そうするうちに、Cさんは作品を通して自身のメッセージを表現していきたい、表現の場を見つけたい、と思うように。自らいろいろな機関を探し相談に行きました。そして福祉協議会の職員がCさんに共感し、発表の場を用意してくれることになったのです。

 

前向きに安定した訓練ができるようになると、就活も動き始めました。小論文試験に向けて塾講師経験のある支援員が添削するなど二人三脚で就活に臨み、見事試験に合格。公務員としての就職が決まりました。

 

受け入れてくれる人がいること

「障害について悩んで辛い想いをしているのは人に話さなければわからない。助けてと言わなきゃ周りも助けられない。弱みを隠すと自分が不幸になるだけ。自分も作品を発表して初めてSOSが出せました」とCさん。

 

支援者は、こう続けます。
「Cさんは自ら行動することで、歯車が回っていくというのを体現された。次に困っても、相談できるようになった。いまのCさんには、職場だけじゃなくて地域にもマナビーにも一緒に悩み一緒に考える人がいることを忘れないでほしい」

(2021年9月取材)

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