「おめぇ、発達障害でねぇかな」母の言葉をきっかけに自分の障害に気付いたUさん。35歳の時でした。
秋田県で生まれたUさんは、子供のころから「自分は人と違うな。どこかおかしいのかな」と感じながら過ごしてきました。不器用で、勉強をしても興味のないことは頭に入らない。常に頭の中にいろいろなものが入ってきて考えたくなくても自ずと脳が動いてしまって集中できない感覚。
一方で読書や作文など好きなことには、いくらでも集中することができました。
「自分は何なのかがうまく言葉にできず、生きづらさを抱え込んだまま大人になってしまった」とUさんは言います。
大人になったUさんは、両親が営む建設関係の会社に就職しました。後継者として期待されていたものの、経験も資格もない自分には会社経営なんてとても……と不安を感じる日々。入社から数年後、会社の業績が悪化し、会社と家庭を支え続けてきた母も病に倒れてしまいました。
そんなとき、母から発達障害ではないかと言われ、Uさんは初めて自身の障害に向き合うことになります。まずは自分なりに調べてみて、病院でテストを受け、広汎性発達障害と診断されました。
「覚悟はしていたけど、やはりきついものがありました」
項目によって知能指数が平均値よりも低かったことがとてもショックで、しばらく落ち込んだそう。しかし立ち止まる暇もなく、Uさんは母に紹介された製材所で働くことになりました。社会経験の不足に加えて、発達障害の診断。不安は増すばかりでした。
体力には自信があったUさんでしたが、慣れない仕事と職場環境によって徐々に心が傷ついていきました。障害に対しての理解はなく、露骨にけなされることもあったと言います。Uさんは、自分の力で生きていくことになったいまこそ、自分の長所や強みは何かに目を向け、強みを生かして生きていこう、と心に決めました。
まずはパソコンの基本を学ぼうと地元のパソコンスクールに通い始めます。タイピングの基本からWordやExcelに取り組みましたが、肉体労働の現場で働きながらの勉強は大変で、精神的なダメージによって捗らないこともままありました。このまま閉塞感のある田舎にいては自己成長が望めないと感じたUさん。
「思い切って、家を出て仙台で働きたい」
高校を卒業してから仙台の専門学校に進学したUさんは、中退するまで仙台で暮らしました。その中で仙台の食べ物や自然、温泉が大好きになり、地元に戻ってからもいつかまた仙台で暮らしたいと思い続けてきました。
そして自分の障害に気付き、自分の長所を磨きたいと居場所を探す中で、manabyを見つけたのです。
Uさんは、仙台移住に向けて着々と準備を進めました。製材所を辞めてパートで働きながら、manaby eラーニングでの学びと就活を両立。就職面談で仙台に訪れた際にはmanaby WORKSに立ち寄りキャリア相談をしました。
「面談を通して本当の自分と向き合えた気がします。前向きに生きる気持ちが芽生えて行きました。自分の知らない新しい世界の扉が少しずつ開いていくような気分でした」
そしていよいよ仙台での就職が決まったUさん。地元で取得していたライセンスを生かして食品配達ドライバーとして新たな生活をスタートしました。
「仕事はとてもハードですが、良き先輩方に色々教わりながらこなしています」
障害については特に明かしていないクローズド就労ですが、不調なときは正直に伝えることができており、給与面もこれまでと比べてずっと好条件で日々充実しているそうです。
仕事にも慣れ、Uさんは週に1度manaby WORKSのコワーキングスペースに通いながら、新たな目標に向けて頑張っています。
「僕は子供の頃から本を読むことが好きでした。それと同じ位、文章を書くことも好きなんです。読む人の役に立つ、面白いと感じてもらえる記事を書けるようなライターになることが今の自分の目標です」
好きなことに熱中出来るのが自分の発達障害の特性であり長所だというUさん。働きながらのチャレンジはなかなか難しいこともありますが、忙しい中でも明るく自由な雰囲気のコワーキングスペースに通うことが気分転換になり、自宅よりも集中しやすいと言います。
不定期に開催される座談会に参加したり、eラーニングのオンラインコミュニティを楽しんだり、好きな音楽を聴いたり……自分なりの気分をあげる方法をいくつも試して見つけています。
「沈んだら、上がればいい」
Uさんは自分の特性をみつめ、大好きなことに一つひとつ取り組んでいます。
(2021年9月取材)