「できない」「苦しい」って言ってもいい。manabyで学んだこと

あるきっかけで、自身の自閉スペクトラム症を知ったJさん。感覚過敏、不安症状、過集中をコントロールしながら、自分に合った働き方を考え続けています。

 

不調・不安との闘い

Jさんが自閉スペクトラム症だと知ったのは、大学3年時の冬のことでした。不安障害で通院していたJさんは、自立支援医療制度(医療費の自己負担額を軽減する公費負担医療制度)の利用を勧められて、その手続きをする中で初めて、中学生の頃に診断されていたことを知りました。

 

中学1年生の頃、Jさんはなかなか学校に行けず不登校だったそう。子どもの頃から感覚過敏が強く、いつも疲れている状態だったと振り返ります。

 

屋外では眩しくて目が開けられず、音にも敏感で賑やかなところではすぐに疲れてしまい、頭がぼうっとして勉強にも集中できません。対人関係にも悩み、消化器官も弱く不調に苦しみました。

 

「あらゆる部分でぼろぼろでした。授業も行事もなんとか参加したけど苦しかったですね。でも当時はみんなそうなんだ、みんな頑張って耐えているんだから自分も我慢しなければと思っていたんです」

 

それからJさんは相談支援センターに通いながら中学を卒業し、高校に進学しました。通信制なので自宅で授業が受けられましたが、周囲のサポートを受けながら自分を奮い立たせて毎日のように登校しました。通ったほうが親は安心する、苦しいけどとにかく頑張らなければ、自分は生かされているのだ、という思いで通い続けました。

 

「なんで周りと同じにできないんだろう、なんか生きづらいという思いはずっとあった。目に見えない心について探求したら答えが得られるかなと、心理学を学んでみたいと考えるようになりました」

 

大学では、希望通り心理学を学びました。通学には片道2時間かかりましたが、気の合う友人もできアルバイトも始めました。苦手なことも辛いことも飄々と隠しながら、気力で頑張り続けたJさん。

 

周囲には順調に大学生活を送っているように見えていましたが、Jさんの心身の状態は著しく悪化していきます。大学の健康診断でもメンタルヘルスの問題を指摘され、不安障害で通院するようになりました。

 

大学3年次になって就職活動がスタートすると、いよいよ限界を感じるようになります。

 

特に合同説明会は感覚過敏があるJさんにはとても辛く耐えがたいものでした。毎日生活するだけで精一杯なのでやりたいことを考える余裕はなく、置いていかれないように離されないようにと、焦る気持ちばかり募ります。

 

その頃、アルバイトをしていた企業から頑張りが認められて正社員として就職してほしいと内定を貰いました。本当は苦手な接客業でしたが、気合と根性で頑張ってきたJさん。「とにかく内定がほしいという気持ちで決めてしまった」と振り返ります。

 

無理を続けて症状が悪化する中で、不安障害の根源に自閉スペクトラム症があることがわかり、Jさんは内定を辞退して一度立ち止まって考えることにしました。

 

自分を知るために

Jさんは一人で就職活動を続けるのは難しいと考え、就職を支援してくれる施設を探してみることに。そこで就労移行支援の存在を知りました。

 

「manabyに決めたのは、『客』ではなく人間として見てくれたと感じたから」

 

いくつか事業所を見学した中で、manabyは思いや考えを深くヒアリングしてくれて『ゴール』に誘導されてない感じがしたのだと言います。

 

事業所に通い始めると、早速eラーニング(マナe)で事務系スキルを学びました。自分が何をしたいのかを考えることや、自分で決めて物事を進めることは得意ではありませんでしたが、次第にプログラミングスキルに興味を持つようになり、やってみることにしました。

 

最初のうちはつい頑張りすぎてしまい、苦しい思いをしていたそうです。支援員からのフィードバックを通して、できないと言えない自分、キャパを越えてやってしまう自分、に気付いたJさん。そしてメンタルも睡眠や食事などの生活リズムに左右されること、無理して頑張っても高いパフォーマンスを出せているわけではないことがわかりました。

 

「自分も体を持つ人間なんだと気が付いた。自分が思うほど丈夫ではない」

 

これまで、周囲の期待に応えたい、弱音を吐いてはいけない、という一心で気力だけで頑張って自分の体に目を向けてこなかった自分を振り返り、それが不調の原因でもあることを理解しました。

 

こうしてJさんは自分の体調を見越して予定を立てることに注力して、少しずつ心身の調子を整えながら、訓練日を増やしていきました。

 

支援員は、当時を振り返ってJさんは“武士”のようだったと言います。

 

「常に100%以上のチカラを出して、辛いこと苦手なことも忍び耐えなければならないと頑張っていましたね。不安障害で通院していることも家族には言わずに一人で抱えていたんです」

 

事業所で支援員と話して、たくさんの自分の側面に気付き、理解して、向き合った日々。そして、自分で選んだ在宅の仕事に就くことができました。

 

自分で決めた働き方

Jさんは、現在、データ入力の業務を担当しています。週5日の在宅勤務でほぼ無遅刻無欠勤で4か月が経ちました。

 

社会人として働くのが初めてだったこともあり入社前はとても不安でしたが、実際に働いてみると周囲の手厚いサポートのおかげで肩のチカラが抜けたのだそう。

 

業務にはExcelやWordを使うことが多く、訓練で学んだことを生かしていると教えてくれました。視覚情報が多いと理解しにくいため、業務マニュアルを自分でカスタマイズしてまとめる、文字を拡大して少しずつ上から読むようにするなどして、自身の特性も把握して対処しています。

 

さらにここ1か月で急に業務に慣れた感覚があり、意外となんとかなる、と感じられるようになりました。実際に成果にも表れてきており、職場のコーチも認めてくれているそうです。

 

「成長ってゆるやかに気づくだけじゃなくて、急にドンと感じることもあるんですね」

 

会社にしっかり貢献できているという実感が湧いてきてからは不安感も落ち着きました。

 

Jさんは今、自分のペース配分を調整しながら安定して仕事を続けることができています。他者からのアドバイスや情報を取り入れて軌道修正し、力みすぎることなく取り組んでいます。

 

働くことに不安や悩みがある方は、とにかく支援員に相談してみたらいいと続けました。

 

「自分の特性や体調の波を理解できるように、支援員がサポートしてくれる。一人でがむしゃらに進めるのではなく、二人三脚でやってみて」
(2024年9月取材)

 

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