大学を卒業した春、念願の「先生」として社会人スタートをきったDさん。しかし多忙な教育現場で次第に体調を崩し、うつ病を発症してしまいました。
「無理をしてしまうタイプです。自分で責任を感じてしまい頑張りすぎてしまうところがありました」
Dさんは当時を振り返り、とにかく気分が激しく沈み込み、食べられずに眠れない、誰とも話したくないという状態だったと教えてくれました。
発症は、教員として働き始めてまもなくの頃でした。教育現場の働き方についてはその仕事量の多さが昨今のニュースでもよく話題となりますが、Dさんの職場も例外ではありませんでした。
初めての仕事、初めての担任、わからないことがたくさんありましたが、先輩教員たちも余裕がない状態。忙しそうな先輩への遠慮もあり、Dさんは自分ひとりで抱えてしまいます。
夏が近づくと次第に食欲は落ち、睡眠障害がでるようになりました。7月、通勤途中に倒れてしまったDさんは病院へ。働き始めて3か月ほどで気づけば10キロ痩せていました。
そんなDさんを見かねた家族は精神科への通院を勧めます。そして医師のアドバイスにより2週間ほどの休みをとることになりました。
「夏休み前には戻らなければ」と頑張って復帰し、学校へ行ったDさん。何とか登校したものの、その日はずっと不安で思考もはっきりせず、気持ちのざわつきも収まらなかったと言います。
「復帰するのは無理かもしれない」
そのまま休職すると、さらに状態は悪化。家から出られなくなり、電気を消して部屋に籠る日々が続き、消えてしまいたいとまで思うようになっていたそうです。そしてDさんは冬を迎える前に退職することとなりました。
「先生になりたいと勉強も頑張ってきたのに、ショックでした。なんで自分はうまく行かないんだろう、みんなうまくやってるのに、と」
他人と比べて、自分を責めてしまいました。
Dさんは、隔週で通院するようになり投薬も開始しました。その闘病を支えてくれたのは家族です。近くに住む祖父母や親戚も協力をしてくれました。
「外に出れば、新卒なのに働いていないことがバレてしまうのではないかと気にしていた私を、朝誰もいない時間に一緒に歩きに行こうと誘ってくれたんです」
人目の少ない朝の4時、毎日公園まで一緒に歩いてくれたのは祖父母と親戚のおじさんでした。それから家族の提案で猫を飼うことに。Dさん家族にとって大きな癒しとなりました。
その冬、区役所へ自立支援の申請に行きました。Dさんは、なかなか症状が改善しないことに焦りを感じていましたが、窓口の担当者から『電車に乗ってここまで来て、話してくれるだけでエライ!』という言葉をかけられました。
「ずっと家にいて何もできてないと思ってたけど、できてないわけじゃないんだ!と気持ちが楽になりました」
年が明けると、Dさんは一念発起してパソコン教室に通い始めます。そして就職活動を経て、クリニックの事務として再び働き始めることとなりました。うつ病は改善しつつあったので、そのことを明かさずに働くことにしたDさん。働き始めると、忙しさもあり次第に病院にも行かなくなりました。
順調に再出発ができたように思えましたが、1年ほどで職場の状況も変化し、様子が変わっていきました。Dさんに対するパワハラが起こるようになったところに、プライベートでの出来事が重なって、とうとう気持ちと体が限界を迎えてしまいます。ある日、Dさんは制服とサンダル履きのまま職場を飛び出しました。
「みんなに悪口を言われている気がすると思ったときに、これは病気だと気付くことができました。このざわざわする感じは覚えている!またきたか!と」
再び精神科に行くと『自分で気づいて戻ってこれたのはすごいこと。そんなにいろいろ起こったら、病んで当たり前。必要以上に落ち込むことはない』と言われて安堵したそうです。
Dさんは、いま仕事を辞めたらもう働くことができないかもしれないという不安と、このまま働き続けたら壊れてしまいそうだという恐怖を抱えながら、クリニックを退職することに。再び心身の回復に努めることに集中しました。
しばらく休んでから、再び就職を目指して活動を開始します。自身のうつ病について、オープンにするかどうかも葛藤しました。正直に伝えると不採用となることも多かったというDさん。不採用が続くと自分に自信がなくなり、また家にこもりがちになりました。
そんなときに母に勧められたのが就労移行支援でした。体力の衰えも気になっていたので、外に出ていくきっかけに丁度いいと、早速いくつか見学へ。
「manabyは、母も一緒に納得して決めました」
Dさんは、支援員が親身になって相談に乗ってくれたのが決め手になったと言います。同じ目線で一緒に頑張っていける、そんな感じがしたそうです。
早速Dさんは事務職を目指して訓練を開始します。パソコン教室で学んだことを復習しつつ、さらなる資格取得を目指しました。
最初のうちは体調も不安定でしたが、在宅訓練を活用して、悩みやわからないことをチャットで相談しながら学び続けました。そして少しずつ、安定して事業所に通えることも増えていきました。
Dさんは人見知りでしたが、お昼休みにも周囲から声をかけてくれる環境で、一緒にカードゲームなどをするうちに、通うことが楽しみになったそうです。
「事業所に通う人たちは病気や障害に悩んで暗い感じかと思ってましたが、行ってみるとみんな前向きで明るかった。年齢も障害もばらばらで、静かに過ごす方も多かったけど、いい距離感で話しかけてくれる方も多かったです。自分もがんばろうと思えました」
通い始めて3、4か月が過ぎたころ、また就職を見据えた準備を始めました。障害をオープンにするかどうかも、支援員と相談しながら考えをまとめていきました。
障害者雇用は単純な仕事しかやらせてもらえなかったり、変に気を遣われたり、低賃金の仕事ばかりではないだろうか、とモヤモヤがあったというDさん。支援員から障害者雇用のメリットやデメリットを説明してもらい、卒業生の事例を聞くうちに、具体的なイメージが持てるようになったそうです。
ネット上の知らない人ではなく、身近で頑張って楽しんでいる人の話を聴き、事業所での訓練を通して自分を分析し、自分の働き方を見つめました。
「つらい思いをして家に籠っていたあの頃のようには、もう戻りたくない。心身の健康と仕事のバランスを考えて、自分を大切にしながら働ける方法があるんじゃないかと思えるようになったんです」
そして事業所に通い始めて約半年、障害者雇用の事務職として就職が決まりました。
Dさんはいま、在宅ワークで事務業務を担当しています。同じチームで働くのは、車椅子の方、聴覚障害の方など、障害も様々です。毎朝チャットで連絡を取りながら仕事に取り組み、週に1度はチームの全員が出社して面談や研修を行います。業務にも慣れ、いまでは「自信を持ってやっているね」と言われることもあるそうです。
「病気のときは前の自分に戻れないんじゃないか、自分は何もできない、と思ってたけど、いま仕事を続けられているし、任されることもあるし、必要とされているのを感じます」
Dさんは、教育に携わりたいと教員を目指した経験が、いまの職場で新人への指導に生きていると言います。
頑張りすぎてしまう自分と向き合ったことで、仕事面でいまの自分の状態を客観的に測り、いまはつらい、まだできそう、これはできない、などと周囲に伝えることができるようになり仕事がやりやすくなったと感じています。
これまでは120%でもまだ行けると言っていたのと比べると成長を感じる、とDさんは笑いました。
manabyでの訓練についても「本当にこんなこと必要?」と思っていたことも、仕事してみてその必要性に気付くこともあったそうです。
「みんなやっぱり自分に自信なくしてしまうことはどうしてもあると思います。でも、自分だけじゃないよ、manabyのスタッフや家族や友達、誰なのかは人によって違うけど、支えてくれる人はきっとどこかにいるよ、と伝えたいですね」
つらかったうつ病を通していろいろなことに気付いたというDさんは、いまの居場所で教える喜びを感じながら、自分らしく働いています。
(2024年4月取材)